前回の記事でご紹介したように、高校卒業以来さまざまな会社を経営してきたマーク・ニグバー。彼がどうしてお酒の蒸留士になったのか。波瀾万丈半生記、後編です。
ストライキでビジネスがストップ
アメリカ・コロラドでアイスホッケー用のアンダーウエアメーカーを経営していたマーク。しかし2004年にナショナルホッケーリーグでストライキが起こってしまいます。
「毎年開催されていたホッケーの展示会でフロリダに行ったんだけど、ストライキだから今年はもうイベントもなしだ、って言われちゃって」
それはイベントだけでなく、少なくともその年1年はホッケーの仕事がストップするということ。しかし、そこでアイデアが降ってくるのです。
クラフトビール × ウォッカ
「フロリダから帰る便で機内誌を読みながら、大好きなウォッカを飲んでいたんだ。誌面には、そのころムーブメントになってきていたクラフトビールの記事。僕はビールは飲まないんだけど、片手にはウォッカ、片手にはクラフトビールの記事……。『クラフトウォッカ』だったらおいしいのがつくれるんじゃないか、とひらめいたんだ!」
その場ですぐ手元にあったナプキンに、現在も使うガラスの蒸留器の原型となるデザインをスケッチしたといいます。
「ビーカーの要領で丸い容器にしたら熱効率がいいな、とか、蒸留するのに管の長さをどのくらいにしようか、とか。もともと理系だから、そういうことを考えるのは得意なんだ」
そのアイデアを、医療用の蒸留器メーカーに持ち込んだマーク。オリジナルのガラスの蒸留器を完成させてしまいます。当時40代、こうして蒸留士としての人生をスタートさせたのです。
考えられることは、必ず実現できる
思いつくまま自由に仕事をしてきたような印象を受けるマーク。これまで大きな失敗はなかったのでしょうか。
「……全然ないなぁ。だってさ、自分の頭で考えられることは、絶対実現できるんだよ」
話を聞いているだけでこちらまで元気になってしまうような、いうなれば、もう生きるパワースポットです。そんな彼がどうしてマウイ島に越してきたかは、またいつか改めて。
彼の話はページがいくらあっても足りません!