ハワイとカウボーイ。なかなかイメージが結びつかないかもしれません。しかしハワイの歴史のなかでは重要な役割を果たしてきた彼ら。現地で「パニオロ」といわれる彼らのストーリーをお話ししましょう。
ハワイと牧場
バケーションでハワイに訪れるとなると、青い海の広がるビーチを目指す方がほとんどでしょう。しかし、3000m、4000m級の山岳を抱えるハワイ諸島。その山麓には冷涼な気候が牧場にぴったりのエリアが点在します。ハワイ島のパーカー牧場、オアフ島のクアロア牧場、マウイ島のウルパラクア牧場など、それぞれなかなかの規模。パーカー牧場はかつて個人経営の牧場としては、全米一位の面積を誇ったこともあるといいます。
招かれしカウボーイ
ハワイのカウボーイの歴史は、諸外国との交流に深いかかわりがあります。18世紀後半からハワイ王国に欧米諸国の船が来航するようになると、それまでハワイにはいなかった牛が持ち込まれました。しかしこの牛が野生化。数が増えて畑を荒らしたりするようになりましたが、牛をコントロールするすべを知らなかったハワイアンたち。そこで、アメリカ・カリフォルニアからカウボーイたちが招かれたのです。このカウボーイ招へいを推進したのは、カメハメハ三世。19世紀前半のお話です。
語源は「エスパニョール」
ハワイで「パニオロ」と呼ばれたカウボーイたち。これは、彼らがスペイン語=エスパニョールを話していたことが語源だといわれています。カリフォルニアのすぐ南はメキシコ。アメリカといえどもスペイン語文化が混ざり合っているのです。パニオロたちは馬を乗りこなし、ロープを操り牛を管理し、それがハワイにカウボーイ文化を根付かせることとなったのです。
本場の強敵を押さえて
ひとり、伝説のパニオロがいます。イクア・パーディというその男(写真)は、1908年にアメリカ・ワイオミングで開催された投げ縄コンテストに招待され、本場のカウボーイを押さえてなんと優勝! 他のカウボーイとは少々異なる服装、レイをあしらったハットなど、その出で立ちをからかっていた人たちも、イクアの技を見て思わず言葉を失ったといいます。
そんな彼が終の棲家にしたのはマウイ島。ウルパラクア牧場で23年を過ごしたのち、その生涯の幕を閉じました。